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こんなときは、
近藤先生の言葉に癒されたいと思います。 紀要に載せていただく論文の中で、 私がもっとも好きな引用部分です。 ・・・(「川あそび」の文を書くとき)子どもが川の流れをどのようにみたか―ではなくて、川の流れとどのようにふれあったか。その生きた肉体を川の流れにどのようにぶちこんだか。・・・「自然と子どもとのとけあい」を目ざしたいのだ。・・・愛することはみることをもとめ、みることはさらにゆたかでふかみのある愛情をよぶ。そういう道すじでの「みるいとなみ」―私は、それが自然観察の作業なのではないかと思う。子どもたちが自然をつめたく自分からつきはなしてみる眼ではなく、自然とひとつになったものの中からじっとそそぎかける眼を私たちはやしなってやらなくてはならないように考える。「自然をみる眼」の前に「自然と生きる体」を私はつくりたい。・・・私はこういう方法によってこそ真の意味の科学的文章もうまれようし、科学的な生活(または生活的な科学)もつくりあげられるだろうと思うのだ。・・・自然観察の文をどうかかせるか―ではなく、どんなに子どもたちのゆたかな生活をいとなませるかを何度も考えていこう。(近藤「自然生活を豊かに育てよう」『著作集第1巻』1975 明治図書 260-262頁、初出「作文指導案内(4) 自然生活を豊かに育てよう」『作文実践5号』1952 長崎作文の会) 私が知っている近藤先生の言葉の中でも、 最高に美しい文章だと思います。 教育の根本。 今にも、未来にも通じる何かを、 この文章はそなえていると思います。 そして、近藤先生こそが、 「子どもをみる眼」の前に「子どもと生きる体」をもった人でした。 教育科学というのもまた、そういうことなのかもしれません。 #
by lv_yuuchan_vl
| 2006-01-15 01:33
| 親愛なる近藤先生
私はやっぱり間違っているのかな。
私がいけなかったのかな。 私はどうしたらいいのかな。 仕事が忙しいのはいいんだけれど、 他人に気まずさを感じさせているのかと思うとつらいです。 やりにくさを感じさせてしまっているのだろうか。 なんだか今日は小さなことにイライラしてしまいました。 イライラしないがモットーだったのに、なんでかな。 睡眠時間を削って、毎日1~2時間読書をしている。 やっぱり寝なきゃ体はもたないってことかしら。 朝8時に家を出て、夜1時に帰る生活。 削るのは睡眠時間しかなく、 かと言って、帰って寝るだけの生活では精神が荒んでしまうため、 なんとか読書や映画の時間を確保する。 また、シャワーを2時間も浴びたりする。 だけど、破綻しつつあるのかもしれない。 あまり元々イライラしない私がイライラするような生活なんて、だめに決まっている。 やっぱりちゃんと寝なくちゃと思う。 それとからんではいないのかもしれないけれど、 会社でうまくいかない。 人の本音と建前のあまりの違いを身に染みて知っているがために、 余計になんだかやりづらい。 きっと、いろんなことを考えさせ、気まずさを感じさせてしまっているんだと思う。 そんな自分がいやになってしまうのをどうにかしたい。 大変なのはいいけれど、やりづらさを感じさせるのは絶対にいやだ。 どうしたら、うまくいくのだろう。 私に何ができるのだろう。 元々私は人を使うことが下手だ。 自分でやりだしたことは自分でやらなくちゃ気が済まない。 それは、人を信頼していないということではなくて、 私がやるということに大きな意味を見いだしているだけの話。 そうやって抱え込んで抱え込んでめいっぱいになってしまうのが私の悪い癖。 でも私はそんな不器用な人間。 ただでさえこうなんだ。 ましてや今私は一番年下。 人を使えるわけがない。 というかどうして私が人を使わなきゃいけないのかがよくわからない。 ・・・そうか。 他に大変なものを抱えている人に手伝ってもらうとはそういうことか。 人と自分の扱われ方を比べるのは本当に醜いと思うけれど、 どうしてこんなにも違うのか理解できない。 鍛えてもらっていてありがたいとは思う。 ただ、その人が自立できないのではないかということを、 本人もまわりも危惧していないように見えることが理解できない。 まぁいいか。 こんなことに時間を割いているからあまりよくない考えが浮かぶんだ。 私は、いいと信じる教育書をつくっていればそれでいい。幸せだ。ありがたい。 それでいいじゃないか。 今やっているものを、少しでもよりよきものにしていくことこそ、 私がやらなければならないことだし、 私を幸せにしてくれるんだ。 私にできることは、 自分の身体と心の限界を知って仕事を手離すことだ。 #
by lv_yuuchan_vl
| 2006-01-13 01:57
| 出版人生活
NHKで平井堅のスーパーライブをやっている!
今夜も夜更かしちゃんです・・・。 でも昨日も今日も午後にしか会社に行けなかったから、 明日は絶対朝行くぞー。 #
by lv_yuuchan_vl
| 2006-01-09 01:57
| テレビのこと
研究は、搾取の営みだ、と思う。
それはいたしかたのないことだ。 資料や人のボイス、 そんなさまざまな情報を、 搾取、といったらなんだかマイナスなイメージだけれど、 やはり搾取しながらしか成り立たないのが研究だと思う。 しかし、そこで終わってはならないものなのだ。 その先に、還元があるからこそ、許される。 せめて、せめて「還元したい」という思いを持っていればこそ、許される。 研究とは、そういうものなんじゃないかと私は思う。 あくまで私にとっての話であって、 一般的ではないのだけれど。 そういう前提に立ってみて、私は研究者に問いたいのです。 搾取だけになっていないかと。 搾取だけで、よいのかと。 そこに、何かしらの力を還したいという誠意と熱意はないのかと。 そしてもしそんな情熱があるのならば、それをどう表現しているのかと。 正直私は少し腹を立てています。 でも一方で、少し優しい気持ちでもいます。 修士論文でお世話になった方に、お年賀のご挨拶を出していました。 今日、お返事のご挨拶が届きました。 そのお葉書には、こんなことが書かれていました。 「論文が出来ても送ってくれた人はいない」なんて、ナマイキな事言ってゴメンなさい。ゆうさん(仮)のように律儀な方は初めてでした。・・・ 最初誉められて嬉しくなりました。 でも、何度も読み返すうちに、 研究者っていったい何なのだろうという疑問にぶつかりました。 還元と呼べるほどおおそれたことを私はしていないし、 論文を送ることなどあたりまえのこととしか思っていません。 ただ、この人からこのような言葉を生み出すほどに、 現在の研究者は「心」を忘れてしまっているのかと、 少しあきれ、少し腹立たしくなってしまいました。 搾取だけの研究がどれほど存在するのだろう。 それらのために、どれほどの人が研究への信頼をなくしたことだろう。 そんな私も、最低限のことしかできていなんだと思う。 私は、葉書の「初めてでした」を読んで、泣きそうになる。 今まで一人として誠実につながっていく人間がいなかったのかと悲しくなる。 研究って、そんなふうになされるのかと思ってしまう。 せめて傷つけずに、 願わくは還元できるように、 研究がなされていきますように。 #
by lv_yuuchan_vl
| 2006-01-06 03:43
| 研究生活
新年のご挨拶、書いたのに、ウィルスバスターのせいで消えてしまった・・。
すごくたくさん書いたから、悲しい。。。;; さて、気をとりなおして。 新年、あけましておめでとうございます。 このブログも、もうすぐ1周年を迎えようとしています。 皆様には、いつもあたたかく見守っていただき、ありがたい限りです。 一般的、とはちょっと違うある意味特殊な日記なのかもしれないけれど、 私なりの大学院修了(モラトリアムの終わり)と社会人1年目、そして編集者1年目を、 ここに綴ってきたつもりです。 モラトリアムは、まだ続いているのかもしれないし、これからも続くのかもだけど。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年はいろんな意味で飛躍の年になると思います。 2005年は「就職する」という大きな飛躍があったけれど、 それとは違う飛躍だと思う。 2006年は、自分を変えていく、そして自分が変えていく、 そんな年になるんじゃないかと思う。 生きる場所が同じでも、同じだからこそ、生まれる変化がある。 まだまだ2年目に入る年だし、それはきっと大きい。 抱負、というほどのことでもないけれど、 今年は「イライラしない」をモットーにしていきたいと思う。 もっと、心に栄養をあげたいなって思う。 忙しければ忙しいほどに、映画をむさぼり観た日々は、 自分でも気づきえない渇望の表れだったんだろう。 自分でも、なんで少ない睡眠時間を削ってまで観ているのかよくわかっていなかったけど、 心が悲鳴をあげていたんだと思う。 それこそ観始めて5分で寝ていたりとかもしたんだけど、 それだけ求めていたってことだろう。 それだけ何かを考え、何かを感じたかったってことだろう。 忙しい日々に埋没して、何も感じなくなるなんて、つらすぎる。 私は心に、そして自分の生み出すものに、血をかよわせていたいんだ。 そのために、私はものを考え、感じる人間でいたい。 そのために、私一人では生み出しえない感情にいつも出会っていたい。 栄養と同じなんだよね。 人間にはおのれの身体だけでは作り出せないものがある。 そんなものが、きっと私を幸福に導く。 それだけじゃなくって、 そんな私から生み出される何かを、誰かの幸福のためのものとしてくれるはず。 私には、そういう栄養が必要なんだ。 そういうものがないと、生きていけない。 あまりにもろく、崩れさってしまうのです。 この弱さが、私を強くする。 #
by lv_yuuchan_vl
| 2006-01-04 20:50
| 私生活
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