カテゴリ
全体 lv_yuuchan_vlって・・・ so-edって・・・ 研究生活 出版人生活 研究者と編集者の境界 親愛なる近藤先生 センセイ生活 フリー生活 私の就職活動 本のこと ライフログについて テレビのこと 映画 結婚日記 * 恋 * 私生活 ~虚構~ どうでも(・∀・)イイ!! 以前の記事
最新のトラックバック
★リンク★
人気blogランキング♪
☆第一章~この極限状況を 乗り越える!! ☆教育史研究と邦楽作曲 の生活 ☆鵜の目「タカの眼」―ヘタ レ大学院生の落穂拾い― *先輩方のブログ* 書籍編集者esのつれづれ書評 EDITOR NAVI 本づくり職人の日々 *私という身体* ゆうのブクログ(作成中) 勝手にリンクごめんなさぃ>< ◎検索しよう! NACSIS Webcat 国立国会図書館 東京の図書館蔵書検索 ◎勉強しよう! 内田樹先生の研究室 立岩真也先生のページ 中河伸俊さんのページ 辻大介さんの研究室 川又のweb研究室「ライフヒストリー・リスト」 日本教育社会学会 日本教育史研究会 日本教育学会 日本生活教育連盟 日本作文の会 田中俊弥研究室「国分一太郎研究」 日本特殊教育学会 インクルーシヴ社会の構築をめざして 教育目標・評価学会 インターネット上の教育・心理関係情報源 ライフログ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
会社のことを考えると、こんなことを書いてはいけないんだと思う。
でも、書かずにはいられないほど、私は悲しくてしょうがないんだ。 言語化できない、あるいはしない、しようとしない先生が、 あまりに多いように思えてならない。 原稿を読んでいると、 とても豊かにご自分の実践を表現されている方と、 読み手に訴えかけるものに乏しい表現をされている方との差が見えてしまう。 この差は何なのか。 それは、ただ単に書き慣れているとか、 職歴の長さだとか、そういうものに要因が集約されるものではない。 おそらく、もし、全く同じ展開ができる人たちであっても、 一方が実に豊かな文面で、 一方が、どこか寂しい文面である、 ということもあるのだろう。 私は、 訴えかけるものに乏しい表現をされる先生の実践も、 きっと実践のダイナミズムにあふれた豊かなものであると信じている。 私が勝手に抱いている教育という幻想なのかもしれないけれど、 それでも、教育っていうのは幻想あってのものだという気がしてならないから、 教育っていう分野においては許されてもいいんじゃないかと思う。 なぜ、長年の実践の中で、 子どもとのやりとりを多く経験してきた過去から、 実践の展開を、言葉として原稿に表現しないのだろう? きっと、彼らの中には言葉が溢れていて、書けるんじゃないかと思っている私は、 なにかおかしいのだろうか。 でも本当に、経験があるのだから、 あとは綴るだけの状態なんだと思う。 それなのに、綴らない。綴れない。綴ろうとしない。 なぜ? 原稿をくださった200人近い先生の中で、たった一人、 こんな文章を、メールに載せて送ってくださった方がいた。 これまで自分のことを「国語教師」と思ってきたけれど、 言うまでもなく、この方の原稿は、 この先生の実践をとてもよく表しているものだった。 このような先生が、たった一人でもいることが、 編集者としての私をどれだけ支えているだろう。 私は今日、本気で「やっていけない」と思った。 仕事が大変だとか、多いとか、疲れたとか、そんなことは本当にどうでもいい。 そんなことよりも、前から書いているけれど、もっともっとくやしいことがある。 先生が、綴らないということが、 私は悲しくてしょうがない。くやしくてしょうがない。 あまりに悲しくて、今日は泣きながら帰ってきた。 私がこれまで出会ってきた人たちが、あまりにすばらしかっただけなのだろうか? 私が、彼らに求めすぎているだけなのだろうか? でも、綴らないということを横においたとしても、 教育や子どもへの愛情や愛着が、 とてもじゃないけどうすい気がしてならない。 これは、一部の方だけなのかもしれない。 とってもステキな方は、本当にたくさんいる。 ただその一方で、教育愛が少ないと感じられる人に多く出会う。 教育というのは幻想あってこそ、とさっき書いた。 研究者はさすがにちょっと冷めている部分も持っているべきかもしれないが、 教師には、幻想を持っていてほしいと思ってしまう。 冷めている人が、たくさんいるんだ・・・。 この怒りやくやしさを、会社の誰とも共有できない。 大変さ・忙しさに私はイライラしているんだと思われているに違いない。 そんなことどうでもいい。 私は、ただ、綴ってほしい。 原稿が足りないとかいう問題じゃない。 教師は、子どもに、作文を書かせてるんでしょう。 それなのに、どうして自分は綴らないのですか。 まして、人に読んでもらう文章。 そこに、魂を入れない人が、私には信じられない。 綴方教師たちは、「魂の技師(マカレンコ)」と呼ばれていた。 全身全霊をかけて、心の底から教育という場を愛した人々だ。 現代に、魂の技師は、いったいどれほどいるのでしょう。
by lv_yuuchan_vl
| 2005-09-15 23:44
| 研究者と編集者の境界
|
ファン申請 |
||