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初体験でした・・・・・
泣きました・・・・ 私が九州を出て東京に住み始めたのはかれこれ6年前です。 これまで6年間、何度も帰省しました。 それなのに、空港に向かう列車の中で泣いたのは初めてでした。 父と母が駅まで送ってくれました。 ごく、普通の、当たり前の、光景でした。 これまで何度もこういう別れをしてきたのです。 でも、何か込み上げてくる思いがあり、 今回は、涙が出てしまいました。 私はホームシックになったことがありません。 母からは「親不孝な娘」と言われているほど。 全然家が恋しくならなかったんです。 だから、いつもなんとなく実家に帰り、なんとなく東京に戻ってきていました。 でも・・・・ 実家を出て、すぐに会える距離ではない東京で就職するということは、 「家」を捨てるということなんだと、初めて思いました。 別に追い出されたわけでも、私が親に絶縁状をたたきつけたわけでもありません。 ただ、いつものように帰省して、いつものように東京に戻るだけなのです。 でも今回は、学生としては最後の帰省です。 そして、もう私は社会人になります。 社会人になるということは、実質的に一人で生きていけないとしても、 それでもやっぱり、一人で立って歩かねばならなくなるということです。 次、両親と会うときは、私は「社会人」なんです。 両親にとって、私は「子ども」ではなく「社会人」になってしまうのです。 私も、両親の「子ども」ではなく、一社会人として、実家に帰ることでしょう。 東京で就職するということは、私にとって、 両親の「子ども」であることを放棄したこととイコールなのです。 まさに家を捨てたのです。 母は、「いつでも帰る場所はあるんだからね」と言ってくれました。 私も、何かあったら帰る場所があるという安心感は持っています。 それでもやっぱり、一応は捨てたということです。 実家を離れるということが、こんなにも悲しく寂しいものなのだとは、 これまで一度たりとも思ったことがありませんでした。 うちの両親は、本当にすごい人たちだと思います。 いなかで育った私は、バスでさえ一人で乗ることができなかったんです。 高校も、父に送り迎えをしてもらっていました。 かなりの箱入り娘だったと思います。 一人じゃ何もできなかった。 そんな私を、一人、東京にやるというのは、 両親にとって並大抵の決意ではなかったと思います。 それをとめずに送り出してくれた。 いろんな不安があったことでしょう。 いなかからすれば、東京はとてもおそろしい場所です。 人殺しや強盗や変な人ばかりいるようなイメージです。 それに・・・ 私の自殺未遂の経験も、両親を不安にしていたと思います。 薬を大量に飲んだので、それ以来我が家では薬は隠していたそうです。 私は気づかなかったけれど、そういえば、一切薬を見かけませんでした。 そんなこともあって、 私を一人放り出してくれた両親は、すごい人たちだなぁと思います。 さらに、院に進学することも許可してくれました。 そして、今度は東京で就職です。 さすがに、内定が決まってから今回の帰省まで、 「東京で就職なんてイヤ」という両親の言葉は幾度も聞かれました。 大学時代は、東京の大学に行くなんてイヤとはほとんど言わなかったのに、 就職となると、イヤイヤ言ってました。 私はその違いに、何も気づかずに今日までいました。 東京の大学に行くことと、東京で就職することは、 大して違わないことだと思っていました。 けれど両親の態度は明らかに違いました。 それでも、私が死にそうになりながら就職活動をしていたことをなんとなく知っているので、 一応は私の就職活動と、東京での就職を認めてくれたようではありました。 修士論文の謝辞で、私が最も感謝したのはこの両親です。 本人たちには直接言ってもいなければ、謝辞を見せてもいないけれど、 私は、両親のもとに生まれ育って本当に本当に幸せだと思っています。 感謝のしようがありません。 この「私」という人間に、私を出会わせてくれて、本当にありがたく思っています。 こういう気持ちになるためだったのかもしれないけれど、 私は実家に帰ったその日に、両親が本当の両親ではないという夢を見ました。 とても悲しかった・・・。 こんなに顔が似てるのになんで?と、夢の中で何度も言ってました。 今回の帰省は、私が両親に感謝をするためのものだったんだと思います。 それなのに、こんな大事なことにさっきまで気づかなかったなんて・・・。 熱くて濃いおいしいお茶をいっぱい入れてあげることぐらいしかできなかったけど、 とにかく感謝の気持ちは、いつもいつもこの胸にあります。 こんな気持ちになれたことにも、感謝します。
by lv_yuuchan_vl
| 2005-03-06 02:41
| 私生活
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