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吉永嘉明『自殺されちゃった僕』2004 飛鳥新社
をいっきに読んだ。 パートナー(内縁の妻)、友人に自殺された「残されて生きる」存在である著者が、 下記のような意図で記した本である。 「死ぬほうが楽だから死ぬ」―こういう人に向けて僕は、残された側の気持ちを伝えることにより、もう一度「生死」を考えてほしかった。 この文章からも伝わってくるが、 著者は「生きてほしい」という訴えとともに、 書くことによって自らも癒されようとしている。 この本それ自体が、吉永さんにとっての「喪の作業」なのである。 「残された側の気持ちを伝えることにより」、 生死を考えてほしいという気持ちを、本として具現化したことは、 吉永さんにとっても、他の多くの読者にとっても、必要なことだったと思う。 ただ、 本の内容として、ここに描かれている彼らの生活は、 あまりに一般とかけはなれたところにある。 こう感じるのは、私が彼らの青春時代である70・80年代を、 青春時代として生きていないせいもあるだろう。 でも、ドラッグ、トランスなどのお話は、 それほど普遍性があるとは思えない。 だから、きっとこの本の評価は賛否両論わかれることだろうと思う。 私個人は、かなり好感を持って読んだ。 これは本当に必要な本だと思う。 もしかしたら、一部の人間にとって、であるとしても。 下線を引いた部分は、「普通」のことを書いているようで、 私にはなんだか特別な文章に思えたから引かせてもらった。 「生きるということは、つらいけれども喜び」 人の死に悲しみ狂い、死のうとしたけど生きることを選んだ著者の、 (少なくとも現時点では)最終的にいきついた結論なのだと私には思えた。 一方で、読んでいておそろしくなった。 私は吉永さんのパートナーであった早紀さんに似ている。 大衆を好まないところも、 人をバカにして生きているところも。 ただ、私はどちらかといえば感性で生きているので、そこは違いそうだ。 でも、 死をおそれていないところは、考え方がそっくりだ。 私をよく知っている人は、私からよく聞いていて解っていると思うけど、 私は「生」に対する執着がない。 執着がない、と言ったら誤解をまねきそうだけど・・・。 うーん、執着はしている。 「命は大切だ」という意味においては、すごく執着している。 けれども、 「死にたくない」と思わない。 「生きたくない」とも思わないけど、「死にたくない」とも特に思わない。 この本にも、死者に対して 「やり残したことがあったんじゃないか」というような投げかけがされていたが、 そういうことは、関係ないのである。 今私には、夢がある。 今死んだら、確かにその夢は叶わない。 でもだからと言って、死んでも特に「やり残したことがある」と悔しくなったりはしない。 私は幸福に生きてきた。 すごく恵まれた環境に生きてきたと思う。 おそらくこれからも、そういうふうに生きていくんだろう。 でも別に、死んだら死んだでいいような気がする。 「生きたくても生きられない人がいる」ことを思えば、 私のような考えは、抹殺されるべきものなのかもしれない。 それでもしょうがないのである。 別に死はこわくない。 吉永さんのパートナーである早紀さんと同じように、 死に伴う苦しみや痛さの方がこわい。 私にとっては、老いや病気の方がこわい。 死に近い状況にもし自分がおかれたら、 自分はまっさきにあきらめるだろうと予想できる。 これからきっと、楽しいことが待ってる、と思うけど、 死の前ではそんなことはどうでもいい。 将来楽しければ楽しいでそれでいいし、 でも今死ぬんだったら、それはそれでいい。 現時点で、私は多くの言葉をのこしているし、 過去に対する未練はないからなのかもしれない。 思うに、将来に対する未練は自殺をとめられない気がする。 これは、私のような人間にしか当てはまらないかもしれないが。 まだ十分に書ききれていないが、 時間が時間なので、この点についてはこのくらいにする。 とにかくおそろしくなったのは、 私が自殺予備軍であるように思ったからだ。 「死にたくない」とは思わないが、自殺はしたくないんだ。 それは、本書で著者がさんざん訴えている「残される側のことを考えてほしい」ということとつながる。 私は、私が死ぬことによって残される側の悲しみを知っているから死なない。 自殺って、「大切な人の死」と「大切な人が自ら命をあやめる」という二つの悲しみを残す。 事故死とは、そこが違う。 残された人は、自分に何かできなかったのかと、自分に対して怒りをむける。 だから私は、自殺予備軍ではあるかもしれないが、自殺はしないと決めている。 ただ・・・ 本書を読んでいて、やっぱり自分は自殺しそうだと強く感じた。 今は残される側の悲しみが、私をつなぎとめてくれている。 でもそれは、私が自殺未遂によって知り得た「残される側の悲しみ」であり、 他の多くの自殺予備軍の人には、「残される側の悲しみ」なんて、考えられないんだと思う。 残される側はつらいだろうけど、今の自分の方がつらい、 そう考えて死んでしまう人がほとんどだろう。 私は、予想以上というよりも予想とは全く違う「残される側の悲しみ」に触れたために、 自殺は考えなくなった。 でも、これはたぶん、一時停止の状態であるだけなんだと実は気づいている。 私は、「生きたい」とか「生きていたくない」とか、「死にたい」とか「死にたくない」とかいう感情を、 見て見ぬふりをして、あれ以来生きてきたんだ。 いつか、このつなぎとめてくれているものが、切れそうで、 そうすると、残される側の悲しみさえどうでもよくなりそうで、 それがこわい。 親をまた、あんな気持ちにさせるのかと思うとこわい。 そういう意味で、この本を読んで少しおそろしくなったのは確か。 早紀さんの気持ちがなんとなく、少しわかる気がする私としては、 吉永さんのこの本での吐露は、 まだまだ早紀さんを見つめ切れていない、と個人的に思う。 理屈ではなく感情で自殺を否定する、 そのスタンスに、私は何の文句もない。 そして感情的すぎて、綴れていない言葉や気持ちがあるのだろうとも思う。 でも、 考察と言ってふさわしいかはともかくとして、 考察が不十分すぎる。 吉永さんは、「死なれた側」に徹することを強く志向しているが、 「死ぬ側」をもう少し理解しようとしてほしい。 自分ばかりが「理解してもらいたい」というルサンチマン(とよく本書に出てくる)を 満たそうとしてきたそうで、 その姿勢がこの本にも表れているし、今はそれしかできないのかもしれない。 でも、これからは、 「死ぬ側」の理解もしてほしい。 死んでしまった人間の気持ちは、もう推測するしかない、 というようなことを言っているが、 それにしても、もう少し、思いをはせる義務があると思う。 あちらこちらを引用しようと思っていたのだが、 実家に帰るということで、朝4時半というありえない時間に家を出るため、 ここで終わりとする。 髪も乾いていないし、準備もしていない。 あと20分でなんとかなるんだろうか・・・・。
by lv_yuuchan_vl
| 2005-02-26 04:10
| 本のこと
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