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同じ世界に生きていても、
人によって観えているものは違っていて、 観る角度も違っていて、 だから観える部分っていうのも違ってくるわけで。 それはどちらが正解ということもなく、 お互いに支え合って、 この世の中は進んでいく。 こんなことを書きたいんだけれども、 自分のためにかなり長い記事とさせていただきます。 私の思考の往来を整理したいだけです・・・。 去年の日本教育学会で、 吉村さんが「玉村小学校における学習指導法の研究」を報告された。 吉村さんという人の考え方に、私は基本的にはシンパシーを感じる。 「基本的には」というのは、 言葉だけを並べた抽象的なときはステキに思えるのに、 具体的な分析レベルでは違和があるから。 修士論文序章に「教育実践史研究の視点」という項をもうけ、 私は吉村さんに関して以下のように述べた。 吉村(1995)は、教師の実践研究において、制度や政策を検討することが教育全体を見通しているのだという見解に対して、「教育は人と人の間での行為」であるから、教育実践の質との関連で制度や政策を見るべきだとしている。さらに「教師の実践の事例をていねいに検討することによって、制度・政策の機能や規制力の具体がわかり、実践と制度・政策の両方についてその質をとらえることができる」と述べ、教育実践史研究の可能性を示している (*1)。また船橋(1995)は、教育実践を「教師の信念や知の一方的展開というモノローグ」ではなく、「教師・子どもという二つの主体の存在を前提にした、ダイアロジカルな指導と学習の連続的過程」として捉え、教育実践のもつその相互作用性に注目するべきだとしている。そこでは、これまでの研究が、教育内容・教材・学習の組織方法といった「教師の側の事実」ばかり追いかけ、「子どもの内的世界における意味の生成」といったことに着目してこなかったことへの反省が見られる(*2) 。このように、教育実践史研究という立場を主張している彼らは、教師や子どもの記録を読み解く中で、その教師と子どもの関わりや、教師自身の省察、子どもの学習に注目し、実践のダイナミックな展開を明らかにしようとしている。 おそらく吉村さんのフォーカスは、私のフォーカスとは違っていて、 少し引きぎみに観ているのかなという印象がある。 その吉村先生の玉村小学校に関する研究。 玉村小学校というのは、昭和5年に斎藤喜博が着任、 その後積極的な研究活動がなされた学校で、 低学年では未分科、そして分科、合科へと進む学習法が取り入れられた。 合科学習については、奈良女高師の研究に言及する際に詳述しなくちゃいけないけれど、 奈良女高師では、一人学習→グループ学習→全体学習という道筋が開発され、 子ども一人ひとりが自由に発展していくという考えのもとに実践がなされていた。 (このへん私は懐疑的というか、疑問符をたくさんつける余地があると思っている。) さて、斎藤喜博という人物は、島小学校校長として有名なんだと思うけれど、 玉村小学校に、若き日の斎藤喜博は13年ほど勤め、 熱心な実践研究を積み重ねたようだ。 吉村さんは、学会報告で当時の資料を多く提示してくださった。 玉村小学校の先生たちが出していた『草原』に寄せられた、 先生方の実践記録を取り上げている。 吉村さんは「子どもへのまなざし」と題して、 中山定吉、斎藤キセ、永井多知子、以上3名の先生の文章にふれている。 この中で、おもしろかったのは、 永井先生の文章へのまなざしが、私と吉村さんとではかなりずれていたという点だ。 本研究の本質とは道がそれてしまうことを承知しつつ、 これもまた教育実践史という曖昧な学問について考えるきっかけになるかなと思い、 私と吉村さんのズレについて書いてみたい。 吉村さんは、永井先生の文章をうけて、 担任学級での1年間の印象に残ったできごと と書いている。 そして、永井先生が実際に書かれた文章の注目した箇所に線をひっぱっている。 以下は永井先生の「最初の子どもたち」(『草原』9号 1942.5)の抜粋だけど、 下線は吉村先生のもので、太字は私が線を引いた部分だ。 四月四日の日から、子どもたちをじっとみていたのであるが、秀子がこんな荒々しい姿で私の眼の前に立ったのは今日が始(ママ)めてであった。 おもしろいほどに、注目した箇所がズレていて、 これは他の資料についても、同じようなズレがあったりしているのだけれど、 うまくは言えないけど、このズレって大切なんじゃないかなと思ったりする。 内容的に、ではなく、 これから研究していく上で、という意味だけれど。 今、書き写していてなんとなく思ったのは、 吉村さんは、行動とか、表れたものをけっこう取り上げていて、 私は、永井先生の心の中に興味があるんだなぁということ。 永井先生は、「秀子」とのできごとをめぐって、 学級のいろんな子どもたちにも、同じようなまなざしを向け、 一人ひとりをみとっているというところに、私は目を向けたい。 そしてこの先生が、子どものただ表に出る言動だけを観るのではなく、 その奥底を察していることがわかる点に、 この実践記録の価値があるように私には思われる。 たったこれだけの短い記録を前にして、 たった二人の人の間で、 こんなにもズレが生じる。 大切にしたいことも、見逃してしまうものも、 当たり前だけど人によって異なっていて。 なおかつ、 これって、同じ私という人間の中でも違ってくるはずで。 この記録にラインを引いたのは去年の8月だけれど、 今あらためて読み返すと、 もっと違う箇所に目がいったりしていて。 だいぶ遠回りをして、ついでに自分の関心整理もしたんだけど、 要は、 ラインを引く箇所が異なるという前提に立って相手と向き合う方が、 お互いに得られるものは多いんじゃないかということだ。 同じだったら、そりゃ嬉しかったりするんだけれど、 異なったときに悲しさや寂しさや怒りや無力を感じてしまうのは、 同じという前提に立ってはいなくても、 同じであってほしいという願いがどこかにあるからで、 たぶんそこでつまずくと、 前に進むのが難しくなるから、 はじめからズレを間においておくことも大切だなぁと思う。 そして、 そのズレに多くのものを学べるようにも思う。 研究だけじゃなく、仕事も恋愛も家族も全部そうなんだ。 ラインを引く場所は見事にズレていて、 だから楽しくて、 だから前に進むことができて、 だからそのズレを通して対話ができて、 それぞれが人として深まって、 その間にある関係も深まって、 そういうのが、生きてくこととか、 その他のことを支えてくれるんだろう。 ・・・眠い。
by lv_yuuchan_vl
| 2006-05-09 00:08
| 研究生活
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